2007年 06月 08日
ナマステ・クリシュナ!1~4 |
「ナマステ・クリシュナ!1」
いくら仕事を頑張っても、社会的には決して認められない地位、アルバイト。インドから帰ってきても、その肩身の狭い立場は変わらなかった。
★24才の妹は、既に大手の薬局会社に就職して、忙しい毎日を送っている。かたや長男である私は、一日六時間で業務は終了。家に帰ってもする事など何もなく、有効に時間を使うとすれば、家事手伝いが関の山だった。
★通い始めた郵便局のアルバイトは、不慣れなバイクと云うこともあり、初っ端からドジの繰り返し。これで良いのかと自問自答の毎日に精神は病みかけ、新しい生活を求める事まで考えたが、あのインドへの旅は何だったのかと、一ヶ月半の人生の答えを探した日々を思い返した。やり始めた事を途中で簡単に投げ出してしまう弱い自分なら、あの雄大なガンジスの流れに葬り去ったはずではなかったか。
★精神世界に落ち着きを取り戻すべく、好きな読書に耽ったりして乱れた心を静める暮らしが続く中、ある晩、今まで見た事のなん不思議な夢を見た。(2へ続く)
「ナマステ・クリシュナ!2」
夢の中に現れたのは、インドの街角で何度も目にした神クリシュナの姿だった。夢の中の自分は、クリシュナに触れたい一心で、正に無我夢中で近付こうとするのだが、なかなか距離が縮まらない。そうこうするうちに向こうから私に近付き、こう言うのだった。「早く私の元に来い」と
★クリシュナを初めて知ったのは、実はインドではない。2年ほど前の東京で、クリシュナ意識国際協会が催していた街頭パフォーマンスがきっかけだったのだ。
★無料で本場のインド料理が食べられるということもあって、当時ヨーガに興味のあった私は、寺院でのお祭りに参加してみることにした。だが、体をくねらせるヨーガは全く教えてもらえず、替わりにハレー・クリシュナというマントラ(真言)を唱え、歌うヨーガを教えられた。そして帰り際に、辞書よりも分厚いインドの経典を無料で進呈された。だが、宗教に全く関心の無かった私は、古本屋にその本を100円で売り払い、それっきりクリシュナの事は忘れ去っていた。(3へ続く)
「ナマステ・クリシュナ!3」
それから1年後、人生の答えを見つけるために訪れたインドで、再び出逢ったのがクリシュナだった。
★人生の落伍者のように見えた人が、クリシュナの教えを受け入れた途端、尊敬すべき人間に早変わりしたのを目の当たりにした事がきっかけとなり、今度は読んでみようと思ったクリシュナ意識の本。当時泊まっていた宿は、彼の長渕剛が滞在したと言われているだけに、様々な宗教関係の本がひしめきあっていた。その中に、東京で遭遇した、歌って踊る協会が出版している本があった。その名も「自己の探求」
★本を開いてまず驚いたのは、本の著者シュリーラ・プラブパーダというインドの聖者と、元ビートルズのジョージ・ハリスンが、仲良く並んで写真に写っている事だった。しかもその本に対する称賛が、東京外語大学の名誉教授を筆頭に、世界中の大学の教授や、宗教学者から贈られていたのだった。(4へ続く)
「ナマステ・クリシュナ!4」
本の著者、プラブパーダ曰く。今、人類全体が混乱に陥っているのは、神様の教えを無視しているからに他ならないからだと
★だが、体が求める欲求に辛抱できないのが人間の性。そう簡単に、肉食や酒、煙草を止められる筈もない。しかし、インド最古の経典「ヴェーダ」の真髄である、最高神クリシュナを称えるマントラを唱えるならば、感覚を満足させる喜びをはるかに超えた、最高の喜びをクリシュナから与えられ、楽々と厳しい教えを守り続けることが出来るのだという。
★だが、いくら世界的に認められている教えだからといって、簡単に鵜呑みにすることはできなかった。けれど、クリシュナ意識という教えを受け入れた人の見事な変身ぶりに驚きを隠せなかったのも事実ではあった。
★帰国日を目前にするも、未だ人生の答えを見つけていなかった私は、このまま無為にガンジス河を眺めるよりも、クリシュナの降誕地、ヴリンダーバンに行った方がはるかに有益だと思い立ち、足早にその地を訪問し、寺院で参拝して、1ヶ月半のインドの旅に終止符を打ったのだった。(5へ続く)
by krishnatheater
| 2007-06-08 23:47
| クリシュナ意識体験記